宗恵院の歴史
当山は元「生玉十坊」の一つ、「覺園院(かくおんいん)」と称し、生玉宮寺(現在の生國魂神社)の境内にありました。
開創年代は不明でありますが、1615年「大坂夏の陣」の兵火で焼失、元禄年間(1688~1704年)来邊和尚により再建されたと伝わります。
ところが明治維新の「廃仏毀釈・神仏分離」の政策にともない取り壊されました。
「覺園院」は代替地も無しに立ち退きを命じられ、近くの寺院「宗恵庵」に仏具を持って逃れられました。
そして、のちに「宗恵院」として明治時代中頃に再建したと伝わります。
しかし昭和20年、大阪大空襲ですべて焼失。
戦後復興に着手し、昭和25年に仮本堂が完成し、昭和38年に現在の2階建ての庫裡と本堂が完成しました。
昭和55年には現在の新客殿が完成します。
平成29年6月に現在の護摩堂を建立し、毎月28日に祈祷護摩供を厳修しました。
令和2年6月28日、護摩堂に「五大明王」を勧請しお祀りするに至ります。